大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成3年(ワ)4908号 判決 1991年12月17日

原告

甲野一郎

被告

トヨタ自動車株式会社

右代表者代表取締役

豊田章一郎

被告

武藤尤示

被告両名訴訟代理人弁護士

羽鳥修平

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告らは、原告に対し、連帯して金三〇〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一前提となる事実関係

1  原告は、昭和五〇年ころから政治結社Nの委員長として、衆参両院選挙、都知事選挙に立候補するなどして政治活動を行っているものである(<書証番号略>、弁論の全趣旨)。

2  原告は、昭和五七年二月二五日、乙川二郎と共に、トヨタ自動車工業株式会社東京支社(東京都千代田区<番地略>日比谷三井ビル四階所在)を訪問し、同支社第四応接室において、同社法規部法規課副課長服部吉男、トヨタ自動車販売株式会社サービス部地区担当課長梶本知暉及び同課員宮口勉らと面会し、その席において、梶本から現金三〇〇万円を受け取った。原告は、右席上、政治結社N委員長名義で右金額の領収書(<書証番号略>)を作成して、これを梶本に交付した(<書証番号略>、弁論の全趣旨)。

3  トヨタ自動車工業株式会社及びトヨタ自動車販売株式会社は、同年七月一日、合併により被告会社となったものであるところ、被告会社お客様関連部長の職にあった被告武藤尤示は、昭和五九年五月一七日、トヨタ自動車工業株式会社及びトヨタ自動車販売株式会社を被害者とする警視庁富坂警察署長宛の恐喝の被害届(乙五の三の一の一)を同警察署に提出した。右被害届の内容は、昭和五七年二月二五日、トヨタ自動車工業株式会社東京支社第四応接室(東京都千代田区<番地略>日比谷三井ビル四階所在)において、原告及び乙川は、現金三〇〇万円を喝取したというもので、被害届の「被害の模様」欄には、「トヨタダイナ(足立○○○○○○○)の車両火災事故(昭和五三年一二月一九日)により甲野一郎の子息三郎が業務上失火罪で罰金刑を科せれた件について(判決昭和五五年一一月二五日控訴せず)、甲野、乙川らに「欠陥により息子は前科一犯になった」「マスコミに公表する」「街宣車で大衆に訴える」等々脅迫され三〇〇万円をトヨタ自動車工業株式会社及びトヨタ自動車販売株式会社が喝取されたもの」と記載されている(<書証番号略>、弁論の全趣旨)。

4  被告会社は、右被害届のほか、原告から受領した前記領収書(<書証番号略>)を警察に提出した。被告会社から提出された右領収書は、宛先として「トヨタ自動車販売株式会社御中」と予め印刷されている同社備え付けの領収書用紙を使用したもので、金額欄に「\3000000」、ただし書欄に、印刷された「ただし」の文字に続いて「1 昭和五三年一二月一九日関東自動車道本線上で発生した甲野三郎運転のトヨタダイナ貨物車(登録番号足立○○○○○○○)焼損事故についての紛争の解決として 2 本件に関するすべての事項は第三者に対して一切口外いたしません」と、日付欄に「昭和五七年二月二五日」と、それぞれ手書きで記載され、「東京都江東区<番地略> 政治結社N 委員長甲野一郎」の記名印(ゴム印)と「N」及び「甲野」の各印章が、それぞれ押捺されている(<書証番号略>、弁論の全趣旨)。

5  その後、原告は、昭和五七年二月二五日のトヨタ自動車工業株式会社東京支社における現金三〇〇万円の受領につき、恐喝罪の容疑で、逮捕、勾留され、勾留中のまま昭和五九年六月二八日に、乙川と共に、東京地方裁判書に左記の公訴事実により、恐喝罪で起訴された(<書証番号略>)。

「公訴事実

被告人両名は、被告人甲野の長男甲野三郎がトヨタ自動車工業株式会社製小型貨物自動車「ダイナ」を運転中車両火災を起こした件につき、火災原因は右「ダイナ」の構造上の欠陥にあるとして因縁をつけ、同社及び右車両の販売にあたったトヨタ自動車販売株式会社から金員を喝取しようと企て、共謀の上、昭和五七年二月二二日、東京都千代田区<番地略>日比谷三井ビル四階トヨタ自動車工業株式会社東京支店顧問室において、同社法規部法規課員若原裕司及びトヨタ自動車販売株式会社サービス部地区担当課員宮口勉らに対し、「息子はトヨタの欠陥車で犯罪人にさせられた。我々は街宣車を出してこのことを大衆に訴える。息子が前科者になった礼だ。とり返しのつかない事になるぞ。読売の記者と正式に会う。我々が行動すると徹底的に行うんだぞ。そうなっちゃ困るだろう。ハイエース三台分で何もなかったことにしてやる。」などと申し向けた上、同月二四日、同都葛飾区<番地略>都営○○アパート一二号棟二〇二号の被告人乙川方から愛知県西春日井郡<番地略>トヨタ自動車販売株式会社に電話をかけ、右宮口に対し、「先日ハイエース三台と言ったけど、本当の車を用意するのではないだろうな。うちは車をもらってもどうしようもないから。」などと申し向け、更に同月二五日、前記トヨタ自動車工業株式会社東京支店第四応接間において、同社法規部法規課副課長服部吉男、トヨタ自動車販売株式会社サービス部地区担当課長梶本知暉及び右宮口らに対し、「今回は梶本さんが出るというから『これで何とか』という回答が出ると思っていたがもう終りだ。この件を車で大衆に訴える。総会も近いね。」などと申し向け、もって金員を要求し、右要求に応じなければ右「ダイナ」を欠陥車として街宣車で宣伝し、かつ新聞にも掲載させるなどして右両社の信用等に危害を加えるべき旨脅迫して右梶本らを畏怖させ、よって、同日、同所において、同人から現金三〇〇万円の交付を受けてこれを喝取したものである。」

6  原告及び乙川の両名に対する恐喝被告事件(東京地方裁判所昭和五九年わ第二〇二四号事件)は、東京地方裁判所刑事二八部一係において審理された。昭和五九年七月三〇日の第一回公判期日において、乙川は公訴事実を大筋において認めたが、原告は、「公訴事実中、昭和五七年二月二五日にトヨタ自工東京支店の第四応接室で現金三〇〇万円の交付を受けたことは間違いないが、これは梶本氏から『お宅の団体に協力させてくれ』ということで、私が委員長をしている政治結社Nに対する政治献金として受領したものであり、右については正規に政治資金として届出をしている。その他のことは全く身に覚えのないことである。」と陳述している。(<書証番号略>)。

右刑事事件は、その後、第三回公判期日において乙川に対する事件と原告に対する事件とが分離され、原告に対する事件は、第一三回公判期日まで開かれた。第一二回公判期日において、右刑事事件に検察官から証拠として提出された領収書(本件訴訟における<書証番号略>と同一物)について、原告の弁護人は、最終弁論において「トヨタの根本課長が、会談が始まると同時に、突然被告人の下に来て、おたくの団体に協力させてくださいと、三〇〇万円を差し出したのである。被告人はこれをNに対する政治献金としてうけとった。そして、トヨタ側が出した領収書に金額を記入し、Nと代表者被告人名を記名押印して渡した。ただし書には、何も書かれていなかった。被告人は文字通りの政治資金として三〇〇万円を受け取ったのである。」と述べ、原告も、被告人最終陳述において、同趣旨の発言をした。昭和六〇年一月一四日の第一三回公判期日において、原告を懲役二年六月(未決勾留日数中一一〇日を右刑に算入)に処する旨の判決が言い渡された。右判決において認定された「罪となるべき事実」は、左記のとおりである(<書証番号略>)。

「(罪となるべき事実)

被告人は、昭和五〇年ころから政治結社Nの委員長として、衆参両院選挙、都知事選挙に立候補するなどして政治活動を行っているものであり、分離前の相被告人乙川二郎は、昭和五四年一〇月ころからSで日雇運転手として勤務し、同職場に勤務する甲野三郎を知り、同人の父である被告人を紹介され、被告人の政治活動を手伝うかたわら日雇運転手をしていたものであるが、被告人の長男である前記甲野三郎がトヨタ自動車工業株式会社製小型貨物自動車「ダイナ」を運転中車両火災を起こした件につき、火災原因は右「ダイナ」の構造上の欠陥にあるとして因縁をつけ、同社及び右車両の販売にあたったトヨタ自動車販売株式会社から金員を喝取しようと企て、共謀のうえ、昭和五七年二月二二日、東京都千代田区<番地略>日比谷三井ビル四階トヨタ自動車工業株式会社東京支店顧問室において、同社法規部法規課員若原裕司及びトヨタ自動車販売株式会社サービス部地区担当課員宮口勉らに対し、「私の息子はトヨタの欠陥車で犯罪人にさせられた。街宣車を出してこのことを大衆に訴えるぞ。息子が前科者になった礼だ。トヨタがどうなっても知らんぞ。読売の丸木記者にも正式に会うぞ。我々は本気になったら徹底的にやるんだぞ。トヨタのハイエース三台分でなにもなかったことにしよう。」などと申し向けたうえ、同月二四日乙川において右宮口から次回会談の日を決める電話を受けた際、同人に対し、「こないだの日に先生のほうからハイエース三台分でなにもなかったことにしようと言ったけれどもまさか、本当の車をもってくるんじゃないだろうな。うちは車をもらってもどうしようもない。」などと申し向け、更に同月二五日、前記トヨタ自動車工業株式会社東京支店第四応接室において、トヨタ自動車販売株式会社サービス部地区担当課長梶本知暉、トヨタ自動車工業株式会社法規部法規課副課長服部吉男及び右宮口らと被告人、前記乙川の両名が会い、右梶本がこの件について、トヨタの車にはなんら異常がなかった旨などを申し述べるや、同人らに対し、「まだそんなことをいっているのか。今回は梶本課長が出てくるから『もうこれで何とか』という話が出ると思ってきた。そういうことであればもう終りだ。この件を大衆に訴える。総会も近いね。」などと申し向け、もって金員を要求し、右要求に応じなければ右「ダイナ」を欠陥車として街宣車で宣伝し、かつマスコミにトヨタの車は欠陥車であると流すなどして右両社の信用等に危害を加えるべき旨脅迫して右梶本らを畏怖させ、よって、同日、同所において、同人から現金三〇〇万円の交付を受けてこれを喝取したものである。」

7  原告は、右第一審判決に対して控訴したが、東京高等裁判所第一二刑事部は、昭和六〇年六月一三日、右控訴事件(東京高等裁判所昭和六〇年う第三一二号事件)につき、控訴棄却(控訴審における未決勾留日数中六〇日を第一審判決の刑に算入)の判決を言い渡した(<書証番号略>)。

8  原告は、右控訴審判決に対して上告したが、最高裁判所第三小法廷は、昭和六〇年一〇月二五日、右上告事件(最高裁判所昭和六〇年あ第八六一号事件)につき、上告棄却(上告審における未決勾留日数中二〇日を本刑に算入)の決定をした(<書証番号略>)。

9  原告は、右上告棄却決定に対して異議の申立をしたが、最高裁判所第三小法廷は、昭和六〇年一一月、右異議申立事件(最高裁判所昭和六〇年す第一八八号事件)につき、申立を棄却する旨の決定をした(<書証番号略>)。

10  右異議申立の棄却により恐喝被告事件の有罪判決が確定したことから、原告は、懲役刑に服役した(弁論の全趣旨)。

11  原告は、右恐喝被告事件につき、平成元年一月九日、前記確定判決は偽造の領収書を証拠として原告を有罪としたものであって原告は無罪であると主張して、再審請求をしたが(以下「第一次再審請求」という。)、東京地方裁判所刑事第二八部一係は、平成元年三月一七日、右再審請求事件(東京地方裁判所平成元年た第一号事件)につき、右領収書が偽造である事実が証明されておらず、他に再審請求を、認めるべき証拠もないとして再審請求を棄却する旨の決定をした(<書証番号略>)。

12  原告は、右決定に対して即時抗告をしたが、東京高等裁判所第二刑事部は、平成元年四月一四日、右即時抗告事件(東京高等裁判所平成元年く第四七号事件)につき、抗告棄却の決定をした(<書証番号略>)。

13  原告は、右抗告棄却決定に対して特別抗告をしたが、最高裁判所第三小法廷は、平成元年九月二九日、右特別抗告事件(最高裁判所平成元年し第四七号事件)につき、抗告棄却の決定をした(<書証番号略>)。

14  原告は、前記恐喝被告事件につき、平成二年六月三〇日、第一次再審請求と同一の理由により、再び再審請求をしたが(以下「第二次再審請求」という。)、東京地方裁判所刑事第二八部一係は、平成二年九月一〇日、右再審請求事件(東京地方裁判所平成二年た第一五号事件)につき、再審請求を棄却する旨の決定をした(<書証番号略>)。

15  原告は、右決定に対して即時抗告をしたが、東京高等裁判所第二刑事部は、平成二年九月二八日、右即時抗告事件(東京高等裁判所平成二年く第一八三号事件)につき、抗告棄却の決定をした(<書証番号略>)。

16  原告は、右抗告棄却決定に対して特別抗告をしたが、最高裁判所第一小法廷は、平成三年四月三日、右特別抗告事件(最高裁判所平成二年し第一二一号事件)につき、抗告棄却の決定をした(<書証番号略>)。

二原告の主張の要旨

原告が領収書(<書証番号略>)に記名押印して被告会社に交付した時点では、ただし書は一切記載されていなかった。しかるに、被告会社は右領収書受領後にほしいままにただし書欄の文言を記入して領収書を偽造したうえ、原告に不当に刑事処罰を受けさせる目的で、真実と異なる内容の被害届(<書証番号略>)を作成し、前記の偽造に係る領収書と共に捜査機関に提出した。被告会社の右行為の結果、原告は、真実が無罪であるにもかかわらず、逮捕、勾留されたまま刑事訴追され、有罪とされて懲役刑に処せられ、この間、通算して三年四か月の間、身柄を拘束された。

被告武藤は、被告会社のお客様関連部長として、被告会社の右行為に関与した。

よって、原告は、被告らの右共同不法行為に基づいて被った右身柄拘束についての慰謝料一億円のうち三〇〇〇万円の支払を求める。

三被告の主張の要旨

被告会社が領収書を偽造した旨の原告の主張は、否認する。領収書ただし書欄の文言は予め被告会社社員である梶本知暉、宮口勉及び横井孝枝がこれを記入しておいたものであり、右文言の記入された領収書に原告が記名押印して被告会社に交付したものである。

被告会社お客さま関連部長武藤が警視庁富坂警察署に提出した被害届を捜査の端緒とする原告の犯罪事実は、既に刑事裁判によって審理されて第一審において原告を有罪とする判決がされ、控訴審及び上告審において、右判決が維持されている。本件被害届の内容は、刑事裁判手続における厳格な証明によりその真実性が認められたものである。

被告らは、本件被害届の提出により捜査の端緒には関与することができたにしても、原告が有罪とされて刑事処罰されたのは、刑事訴追及び刑事裁判についての警察官、裁判官の判断の結果であって、被告らの行為との因果関係はない。

原告の主張する被告らの不法行為が本件被害届の警察への提出であるなら、この事実を原告が知った時は、原告が逮捕された昭和五九年六月七日か、原告に対する刑事裁判の第一回公判期日である同年七月三〇日というべきであるから、これらの時から三年の経過により、原告の損害賠償請求権は時効消滅している。仮に、消滅時効の起算日を原告が刑事処罰による身柄拘束を解かれた日(原告主張によれば昭和六二年一〇月ころである。)の翌日としても、その日から三年の経過により、原告の損害賠償請求権は時効消滅している。よって、被告らは、予備的に右消滅時効を援用する。

第三原告の主張に対する判断

一本件訴訟において原告の主張するところは、被告らが虚偽の内容の被害届を捜査機関に提出し、領収書を偽造して捜査機関に証拠として提出したことにより、真実は無実であるにもかかわらず、刑事裁判において有罪とされ、刑事処罰されたから、被告らの行為は原告に対する不法行為を構成するというものである。

しかしながら、犯罪により被害を受けた旨の被害届の提出、捜査機関に対するあるいは刑事裁判手続における証拠物の提出、捜査機関に対する供述ないし刑事裁判手続における証言、捜査段階あるいは刑事裁判手続における鑑定等については、書面等の作成者、証拠物の提出者、供述者、証人、鑑定人等をはじめとする捜査段階ないし刑事裁判手続における関与者の行為は、すべて刑事裁判手続における判決等の結論に向けられているものである。この点からすれば、被害届等の書面の内容、証拠物の真贋、供述、証言ないし鑑定の内容・真実性等に不服のある刑事訴訟当事者は、専ら刑事訴訟手続における攻撃防御方法ないし不服申立方法によってのみ、その内容等を争うことができるものと解するのが相当である。すなわち、判決確定に至るまでは、刑事訴訟法上の規定に基づき攻撃防御方法を提出してその内容等を争い、あるいは上訴により判決の判断を争うべきであり、判決確定後は、刑事訴訟法に規定された再審手続により判決の判断を争うべきである。

そして、右のような刑事訴訟手続における攻撃防御方法ないし不服申立方法を離れて、前記のような捜査ないし刑事裁判手続における書面の作成者、証拠物の提出者、供述者、証人、鑑定人等の訴訟関与の民事上の責任を追及する方法により、刑事裁判手続における証拠の評価等についての紛争を繰り返すことは、およそ許されないものと解するのが相当である。

というのは、刑事裁判手続に提出される書面、証拠物、供述・証言ないし鑑定の内容・真実性等に対する攻撃防御ないし不服申立を刑事訴訟手続上の方法によってのみ行い得ることとすることで、はじめて、訴訟関与者がそれぞれ真実と信ずる内容を不安なく刑事裁判手続に提出することが保障され、それによって刑事裁判手続における真実発見が担保され得るとともに、刑事裁判における結論の安定が確保されることとなるからである。もし仮に原告主張のように刑事訴訟手続を離れて、別途、民事訴訟において書面作成者、証拠物提出者、供述者等の刑事訴訟手続関与者の民事上の責任を追及し得るとすれば、刑事裁判手続における自由な証拠の提出を阻害し、ひいては刑事裁判における真実発見を困難とする危険を招きかねないし、また、刑事訴訟法上に規定された不服申立手続を離れた場面で、実質上、刑事裁判における結論を基礎づける証拠の評価等についての紛争を繰り返すことを許すことになり、刑事裁判手続の安定を害し、刑事裁判における結論を事実上無意義とする危険すら招きかねないからである。

もっとも、被害届等の書面や証拠物等につき文書偽造罪、証言につき偽証罪、鑑定につき虚偽鑑定罪などで刑事上の追及がされて有罪判決が確定し、又はそれに準する事情が生じた場合には、例外的に、刑事訴訟当事者は、当該書面の作成者、証人、鑑定人等に対して、別途、これらの行為により生じた損害につき民事上の責任を追及し得るものと解されるが、その場合でも、真実は無実であるのに有罪判決を受けて刑事処罰を受けたことをもって損害と主張する場合には、まず、前記の事情を理由として再審により無罪判決を得る必要があり、しかる後にはじめて、右損害についての民事上の責任を問うことができるものと解するのが相当である。というのは、そのように解さないと、刑事訴訟法上の再審手続において行うべき判断を、右手続を離れて別途民事訴訟手続において行うということになり、刑事再審手続の意義を失わせることになるばかりか、刑事裁判における結論の安定を損なうことになるからである。

これを本件について検討すると、被告らによる被害届及び領収書の捜査機関への提出につき、被告らが文書偽造罪等の有罪判決を受けているといった事実の主張も立証されておらず、また、原告が刑事再審手続において無罪となった旨の主張立証もされていない(原告の二度にわたり刑事再審請求がいずれも棄却されていることは、前記認定のとおりである。なお、この点は、原告も明らかに争わない事実である。)。したがって、この点において、既に、原告の本件各請求は理由がないというべきである。

二なお、付言するに、本件においては、証拠によれば次の各事実が認められ、これらの事実に照らしても、前記のような、捜査ないし刑事裁判関与者に対して民事上の責任を追及し得る例外的事情が存在するものとはとうてい認められないから、いずれにしても、原告の本訴における各請求が理由のないことは明らかである。

1  すなわち、証拠によれば次の各事実が認められる。

(一) 原告に対する恐喝被告事件についての第一審の審理において、原告の弁護人は、検察官から証拠として提出された本件領収書(<書証番号略>。刑事事件における押収番号は、<書証番号略>)について、「右領収書は三〇〇万円の政治資金受領の証として発行したものであるが、後日、ただし書部分が書き加えられたことにより、甲野三郎の車両火災事故についての紛争解決のための金として関係付けられたので、その点を明らかにするため」として、右領収書のただし書部分の筆跡鑑定を請求したが、担当裁判官はこれを不必要なものとして却下し、弁護人からの右却下決定に対する異議申立も裁判官により棄却された(<書証番号略>)。

第一審判決においては、原告及び弁護人の無罪の主張に対する判断として、次のとおり説示がされている(<書証番号略>)。

第一審判決においては、原告及び弁護人の無罪の主張に対する判断として、次のとおりの説示がされている(<書証番号略>)。

「被告人及び弁護人は被害会社から三〇〇万円の交付を受けた事実を認めるが、その趣旨は、判示トヨタ自動車工業株式会社、トヨタ自動車販売株式会社の担当者から被告人の政治団体Nに対する政治献金として受領したものである。被告人は本件恐喝行為を行っておらず、恐喝の犯意もなく無罪であると主張する。しかし、関係各証拠ことに被害会社の担当者として本件犯行の直接の相手方となった証人宮口勉、同梶本知暉、同服部吉男及び同若原裕司の当公判廷での各供述は、いずれも具体的かつ詳細であり、各証言間に矛盾するところがなく、客観的にも符号するところであり、各証言じたい信用性が高い。また、共犯者であり、かつ、共同被告人であった乙川二郎は、起訴状記載の公訴事実をおおむね認め、また弁論の分離後被告甲野の公判で証人として供述するところも、自己に不利益な事実も含め、前記証人らの供述するところにおおむね添うところであって、ことさら作為的なところはない。また以上の各証人らが被告人を罪に陥れるべき事情もない。これらの証拠によれば判示事実を認定することができる。これに対し、被告人の当公判廷における供述は、自己が犯行日に判示場所に至った理由、会談の内容等につき共犯者乙川が専ら関与して、自己が関知しないとの基本的立場から述べられたものであり、供述じたい極めて具体性に乏しく、前掲被害会社側の各証人及び乙川の証言内容に比し信用性が乏しいといわねばならない。」

(二) 右第一審判決に対する控訴趣意書において、弁護人は、事実誤認の主張と共に、訴訟手続の法令違反として、弁護人が請求した証人の尋問及び領収書の鑑定を原審が却下したのは刑訴法一条、三一七条、三一八条に違反しており、判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反にあたると主張した(<書証番号略>)。

控訴審においても、弁護人は、本件領収書につき、「右領収書の但し書き欄は、原審証人宮口、同梶本によれば、被告人の署名押印を求める際に既に記載されていたものであるとのことであるが、真実は、被告人が署名押印する際には記載がなく、トヨタ側において後に書き加えられたものである。右事実を明らかにすることにより、本件三〇〇万円の金員は被告人に対して政治資金として交付されたものであることを立証し、トヨタ側各証人の供述の信用性を弾劾する。」として、「領収書の但し書き欄の記載が同領収書の印影の上からなされた事実」の鑑定を請求したが、控訴審裁判所はこれを不必要なものとして却下し、弁護人からの右却下決定に対する異議申立も棄却された。原告自身の請求した同趣旨の鑑定も却下されている(<書証番号略>)。

控訴審判決は、控訴を棄却したが、その理由において、「裁判所は、もとより、当事者が請求した証拠をすべて取調べなければならないものではなく、立証の趣旨、取調べずみの証拠関係などからみて不必要と認められるときには、その請求を却下することができるところ、本件において原審が弁護人の請求した前記証人尋問及び鑑定を却下したのは、すでにした証拠調の結果からみて必要がないと判断したことによるものと認められるのであり、かつ、その判断は十分是認できるものであって、所論のように裁量の範囲を逸脱したものとは認められない。」と説示している(<書証番号略>)。

右各事実及び本件訴訟において書証として提出されている右刑事事件の第一審及び控訴審記録(<書証番号略>)によれば、恐喝被告事件において、起訴状記載の公訴事実に沿った犯罪事実が認定され、原審が有罪とされたのは、第一審判決において説示されているとおり、主として、証人宮口勉、同服部吉男、同若原裕司及び同乙川二郎(分離前の相被告)の各証言に基づくものである。被告会社の提出に係る本件領収書は、刑事裁判における犯罪事実の認定には直接的な役目は果たしていないものであって、仮に、右領収書が証拠中に存在しなかったとしても、原告を有罪とした判決の結論に影響を及ぼすものとはとうてい考えられない。また、被告会社による本件被害届は、第一審の第一回公判期日において検察官から取調請求されたが、原告が不同意を表明したことから、第八回公判期日において検察官による取調請求が撤回されており(<書証番号略>)、結局刑事裁判手続においては証拠として取り調べられておらず、単に捜査機関による捜査の端緒となったにすぎない。これらの事情を考慮すると、被告会社の提出に係る本件被害届及び本件領収書については、証拠としての観点からいえば、刑事裁判において原告が有罪とされたこととの間に、直接の因果関係があるものとはいえない。

2  また、証拠によれば次の各事実が認められる。

(一) 原告は、第一次再審請求において、その理由として、①原判決の証拠となった領収書が梶本知暉、横井孝枝及び宮口勉によって偽造されたこと、②原判決の証拠となった梶本知暉及び宮口勉の証言が偽造であること、③有罪の言渡しを受けた原告を被告武藤尤示が誣告したことをあげ、右の者らを私文書偽造、偽証及び誣告で告訴した旨を主張した(<書証番号略>)。

右再審請求に対して東京地方検察庁検察官は、「再審請求にかかる意見書」と題する書面において「刑事訴訟法第四三五条第一号、第二号及び第三号に該当するというためには、右各事実がいずれも確定判決によって証明されることが必要であるところ、請求人は単に昭和六二年一一月一八日に右の者らを告訴したというに留まり、再審請求の理由とならないことは法文上明らかであり、請求人の論旨は理由がない。尚、右各起訴にかかる偽造等の事実は、別紙のとおり、いずれも嫌疑なしの裁定で不起訴処分とされている。」と述べ、右書面の別紙において、原告の、梶本知暉に対する有印私文書偽造・同行使、誣告、偽証での告訴、横井孝枝に対する有印私文書偽造・同行使、誣告での告訴、宮口勉に対する有印私文書偽造・同行使、誣告、偽証での告訴、被告武藤尤示に対する有印私文書偽造・同行使、誣告での告訴については、いずれも昭和六四年一月七日に嫌疑なしの裁定で不起訴処分とされていることを明らかにしている(<書証番号略>)。

原告の右再審請求に対して、東京地方裁判所は、「刑事訴訟法四三七条にいう事実の証明は、確定判決に代わるべきものとして、その事実が合理的疑いを容れる余地のない程度に客観的合理性をもって証明されることを要するところ、本件においては、請求人が前記『領収書』偽造の犯人と考える者らを告訴したというにとどまり、右偽造の事実が証明されてはおらず、他に、請求人にかかる前記恐喝被告事件について再審を認めるべき証拠もないから、本件再審請求は理由がない。」と説示して、原告の再審請求を棄却した(<書証番号略>)。

(二) 原告は、第一次再審請求についての東京地方裁判所の右棄却決定に対して、領収書が偽造されたものであることを確定判決によって証明することはできないが、これに代わる証明はあるから、その証明がないとして再審請求を棄却した原決定は不当であるとして、即時抗告をした(<書証番号略>)。

抗告審裁判所は、抗告棄却の決定をしたが、その理由において、「記録によると、請求人は、梶本知暉、横井孝枝、宮口勉らが右領収書の偽造にかかわった疑いがあるとして、同人らを有印私文書偽造等の罪で警視庁に告訴したが、これらの被疑事件は、昭和六四年一月七日東京地方検察庁において、いずれも犯罪の嫌疑がないとの理由により、不起訴処分に付されたことが明らかであり、なお、当裁判所が前記被告事件の訴訟記録や、当該領収書等を取り寄せて行った事実取調べの結果によってみても、これらの不起訴処分に誤りがあるものとは認められない。右によると、請求人が所論の偽造の事実を、刑訴法四三五条一号に従い、確定判決によって証明することができないのは、前記の被疑事件がいずれも、犯罪の嫌疑がないとの理由により、正当に不起訴処分に付されたため、その確定判決を得ることができないことによるものであって、このような場合は、同法四三七条ただし書にいわゆる「証拠がないという理由によって確定判決を得ることができないとき」に当たると解するのが相当であるから、同条本文に基づき、右一号所定の偽造を主張して再審の請求をすることはできないものといわねばならない。」と説示している(<書証番号略>)。

(三) なお、原告の梶本知暉らに対する有印私文書偽造・同行使、誣告での告訴が、いずれも昭和六四年一月七日に嫌疑なしの裁定で不起訴処分とされていることは、本件訴訟における被告ら訴訟代理人による弁護士法二三条の二第一項に基づく照会の結果によっても、明らかである(<書証番号略>)。

(四) 原告の第二次再審請求は、第一次再審請求と同一の理由によるものであるところ、棄却決定が確定している(<書証番号略>)。

原告の主張する本件領収書の偽造については、被告らが文書偽造罪の有罪判決を受け、あるいはそれに準ずる事情がある点につき、原告においてその主張も立証もしていないことは、既に述べたとおりであるが、右認定の各事実によれば、かえって、本件領収書については偽造の事実の存在しないことが認められるべきである。

第四結論

以上によれば、原告の請求は、いずれも理由がない。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官三村量一)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例